私はパニック障害になりました。
何の悩みもなく、ストレスも抱えていなかったはずの私がなぜ…?
私のパニック障害の経緯を今回ご紹介したいと思います。
◆パニック障害になったきっかけ
◆パニック障害の発作とはどんなもの?
◆早く病院に行くことが大事
◆パニック障害の診断そして治療開始
◆パニック障害の原因って何?
◆パニック障害の治療薬はこんな感じ
◆些細な心の乱れが発作につながる
◆パニック障害になったきっかけ
調子がおかしいな、と感じたのは2020年9月の下旬。
約2ヶ月前です。
きっかけは、9月下旬に、1年ぶりに友達とランチに行った時。
友達の彼氏とも会うことになり、少しフォーマルなレストランでランチをすることにしました。
当日をすごく楽しみにしていたのに、前夜は緊張を感じ、あまり眠れませんでした。
当日。
家を出る30分くらい前から、かつてないほど緊張していました。
友達とその彼に会うだけなのに、何でこんなに緊張しているんだか。
自分でも疑問だらけでしたが、今思うと、異常な緊張も、パニック障害の前兆だったと思います。
友達と会って、少しホッとして、ランチでは会話も弾みました。
しかし、そこのランチの量が多くて。
メインが来る前に、お腹いっぱいに。
そこで、〝食べきれるかな〟という不安がよぎり、目の前がクラっとしました。
結局調子が悪くなりそうだったので、早めに友達にも〝なんだか体調が悪い〟と伝えて、メインは残しました。
昨日よく眠れなかったから、調子が悪くなったのだと思ってたのですが、翌日も何だか気持ち悪い。
それが2、3日続いて、ついに夜に発作が起きたのです。
◆パニック障害の発作とはどんなもの?
初めて発作が起きた時は、何とも言えない切迫感が体の内側から襲ってくるのがじわじわ分かって、どうしようもなく怖かったです。
その時、夫は仕事でおらず、家には子供達と自分だけ。
子供は8才と6才なので、私が不調なのを見せると心配して泣いてしまうこともあるので、こっそり別の部屋へ行き、一人で発作を耐えました。
発作が去ってから、泣きながら両親に電話をしました。
この時は、まだパニック障害だとは分かっていませんでしたが、〝恐らくパニック障害になったんだ…。〟と思いました。
まさか自分が…。というショックが大きかったです。
泣いている私を心配した母が、夫に、私の様子をよく見ておいてほしいと連絡してくれたらしいです。
その当時、芸能人で自死された方が相次いだので、母が私も精神的に弱っているから、心配したのは無理もありません。
実際に、相次ぐ有名人の自死のニュースは、その頃の私を暗い気持ちにさせていました。
夫は次の日仕事を休んでくれました。
◆早く病院に行くことが大事
発作が起きた翌日は金曜日。
両親と夫と普通に買い物をした時、問題なく過ごせたので、病院に行かず、もう少し様子を見てみようと思いました。
しかし、買い物の後、どこかでランチをしようとすると、また〝食べきれるかな〟という不安が心にありました。
食べきれなくても残せばいいのに。
自分でもそう思います。
だけれども、普段〝食べ物を残すのは申し訳ない〟という気持ちで過ごしてきたからか、食べ残しに抵抗が強いようで。
そして、その日も、いつも食べられる量のうどんを半分も残してしまいました。
翌週、病院に行くことにしました。
今現在発作が出なくなった私からすると、パニック障害になってしまったと思ったら、すぐに病院へ行くことをオススメします。
薬でだいぶコントロール出来るようになるからです。
メンタルの病院へ行くのは、正直抵抗がありました。
心が病んでいる=弱い・繊細さん
みたいなイメージがあり、自分は強い・鈍感とどこかで思っていたのだと思います。
それでも、発作がまた来ることの恐怖心の方が勝り、すぐに病院に行く決心が出来ました。
あの時我慢せず、すぐに行ってよかったなぁと心から思っています。
◆パニック障害の診断そして治療開始
カウンセリングがしっかりしていそうな病院に行ってみようと思いましたが、人気のあまり、新規の患者さんをとれない状態だと断られてしまいました。
なので、他に選択肢はなく、近くのメンタルクリニックへ。
初回は、これまでの生い立ち、家族構成、環境を事細かに聞かれました。
症状を話したところ、思っていた通り〝パニック障害〟の診断を受けました。
◆パニック障害の原因って何?
メカニズムや原因はハッキリと解明されていないが、ストレスや睡眠不足などの心理的な原因の他に、脳神経機能の異常も関わっていると言われている。
パニック発作は、比較的良く見られるもので、毎年人口の10%もの人が、発作を起こしている。
ほとんどの人が治療なしで回復し、一部の人がパニック障害へ進行する。
100人のうち1〜2人がパニック障害になると言われている。
女性の方が、男性よりも2〜3倍多い。
症状は、通常10分以内にピークに達し、数分以内に消失する。
次発作が起こることへの恐怖による予期不安がある。
(【メルクマニュアル第18版 日本語版】参照にしています。)
◆パニック障害の薬はこんな感じ
初回に処方されたお薬は、ジェイゾロフト25mgとデパス0.5mg。
ジェイゾロフトは、25mgの量では症状改善しませんが、副作用で気持ち悪くなるので、体を慣らすために、1週間まず25mg服用してから、翌週から50mgに増量し、50〜75mgで継続するのが一般的なお薬です。
実際に、ジェイゾロフトを飲み始めてから、気持ち悪くなりました。なので、翌週の診察時に、ジェイゾロフトを25mgから50mgに増量するとともに、ガスモチン5mgという嘔気を抑える薬も出してもらいました。
◆よくなって来るのはいつ?
初めの診察からしばらくは、週に1回通院していました。
その間、ジェイゾロフトを25mg→50mg→75mgと増やしていきました。
薬の効果を実感するには時間がかかり、通院開始から3週間経っても、デパスを手放すことは難しかったです。
当時幼稚園児であった子供のお迎え時には、外で発作が起きたら困ると思い、お迎え前にデパス0.5mgを飲んでいました。
薬を服用してから初めて調子がいいと感じられたのは、発作が起きてから約1ヶ月後、薬を服用してから2週間後のことでした。
◆苦手を克服!! 外食も出来るように
一度薬の効果を実感し始めると、調子のいい日が長く続きました。
以前は躊躇っていた外食も、問題なく出来るようになり、だんだんと自信を取り戻すようになりました。
調子が良くなると、自分がパニック障害であることを忘れてきて、普段通りの生活ができるようになるのですが、そうなると薬を飲み忘れてしまいそうになるのが困りものでした。
◆些細な心の乱れは発作につながる
母とのケンカ
パニック障害になってから、4ヶ月経ったこの頃は、相変わらずジェイゾロフト75mgとガスモチン5mgは服用を続けています。
たまに、眠れない時にデパス0.25mgか0.5mgを服用することがあるくらい。
もうジェイゾロフトも飲まなくていいくらいなのかも?と思うほど、調子が良かったのですが、ついこないだ、私が言ったことに対して、母が大激怒してしまって。
自分ではそんなに怒らせることを言ったつもりはなかったので、悲しくて悲しくて。
そうすると、やはり動悸がしてきてしまい、その日の夕飯時、久しぶりに発作が起きそうな感じがあり、デパス0.5mgを服用しました。
また、その次の日、家のことを決める打ち合わせがあり、建築士さんと話し合っている時にも、緊張してきて動悸がしてきてしまって、デパス0.5mgを服用しました。
電車の緊急停車
パニック障害になってから7ヶ月目。
電車で近くに出かけました。
パニック障害になって、症状が落ち着いてからは、電車に乗るのはこれまで問題ありませんでした。
ところが、突然、電車が緊急停車しました。
「踏み切りで無理な横断があったため、緊急停車しました。」との放送が流れました。
パニック障害になる前は「あーあ、早く動いてほしいなぁ。」と思うぐらいでしたが、
パニック障害になってからは「えっ?!長く閉じ込められてしまったらどうしよう…。大丈夫かな、私。」と不安がよぎりました。
その時は幸い家族が一緒だったので、頼ることができる安心感からか、発作にならず持ちこたえることができましたが、一人だったら大丈夫だっただろうか?と、その日を境に電車に苦手意識が出来てしまいました。
その旨を主治医の先生に話したところ、苦手な場所がなくならない限りは薬の減量は見送りましょう、と言われました。
◆ ジェイゾロフトの減量はいつから?
現在は、ジェイゾロフト75mgを服用していますが、調子が良くなってくれば50mgに減量し、その後服用しなくなっていくことも可能です。
75mgから50mgへの減量は、75mgを服用してから半年間パニック発作が起きなくなってからになる、と主治医の先生から言われました。また、苦手な場所を克服するということも大きなポイントの1つのようです。
◆治療開始9ヶ月後には飛行機にも乗れました
パニック障害を持つ多くの方の苦手な場所として、電車、飛行機、歯科院、美容院があるそうです。
私も御多分にもれず、その4つの場所が苦手でした。
一番最初に克服出来たのは、美容院でした。
歯科院は、美容院より苦手意識がありますが、怪しい時はデパスを事前に飲めば問題ないです。
担当の歯科衛生士さんに、事前に自分がパニック障害であることを伝えておくこともより安心できる材料になるかと思います。
自分がパニック障害であることを人に伝えるのは、私も最初のうちはあまり気が進みませんでしたが、気の持ちようで、そのうち開き直ってくることがきっと出来ます!
ジェイゾロフト服用開始して9ヶ月たった今は、飛行機にも乗れるようになりました。
今後も治療の経過を追記していきます。